岩手と青森の旅

 

2023年9月8日から10日で岩手と青森にカミさんと行ってきました。

毎年1回、カミさんと旅行をしています。

今年は、カミさんのご希望で、岩手と青森になりました。

1。準備

①私が65歳を超えたので、大人の休日倶楽部に二人で、加入しました。特典がいろいろあります。

②カミさんのご希望で、岩手は、新花巻(宮沢賢治の世界)となりました。青森は、鯵ヶ沢となりました。

③出発の前日まで、台風13号で影響が心配されて、一部キャンセルもやむなしという感じでした。

④結果、台風の影響は、あまりなく、全行程を予定通りに行くことができました。

2。岩手

①宮沢賢治とイートハーブの世界は、なんとなく知っていましたが、あまり深く知りませんでした。

②新花巻に着くと、レンタカーで、宮沢賢治記念館に行きました。

ビデオを4本ぐらい見ました。

個人来歴は、とても悲惨で、悲しいお話しなのでですか、なぜか、明るく楽しい夢のような場所でした。

イートハーブの世界の虜になってしまいました。

③ 次は、宮沢賢治童話村に行きました。

あちこちに、宮沢賢治の世界を具現化するオブジェが並び、何か不思議な世界に引き込まれていきました。

 

人ひとつが生き物のようで、語りかけてくるような錯覚を感じました。

 

星座が地に降り立った。。

イスの世界。。

光り輝く道。。

④ 次は、羅須庭園に行きました。

宮沢賢治の家が、移築されていました。場所は。「岩手県立花巻農業高等学校です。」

こちらで、教壇を取っていました。

賢治が生活していた家です。

今も花巻のみなさまに愛されているなあと思いました。

⑤ 初日のお泊まりは、佳松園でした。

 

こちらは、岩手県で一番のお宿とのことです。

 

全てが快適でした。

お食事も美味しい。

奇を衒った食材はありませんが、ひとつ1つの食材が美味しい。

夕食は、部屋食でした。

落ち着いた接客の方がつきました。

立ち居振る舞いや言葉使いがしっかりしていました。

ベテランさんかと思ったら、入社5ヶ月。

地元(一関)のご出身とのこと。

部屋食対応で、8回ぐらい、出たり入ったり。

お部屋のお風呂は、檜ぶろ。

大浴場は、とろとろの湯。

お部屋の冷蔵庫の中は、全て無料。

スリッパの代わりです。

翌朝の朝食は、牛乳付き。

 

3。翌日は、青森へ。

新幹線で新青森へ。その後、青森へ。

①ワ・ラッセ

ねぶたの見学

羽子の体験。

鳴り物。太鼓の体験。

太鼓の音が大きいので、びっくり。

長い鉢全体で叩く。

リズムは、単純。

参加者は、ノリがよく、盛り上がっていた。

天皇陛下も見学

②リゾートしらかみ(快速:全席指定。青森→五所川原)。

車窓はこんな感じ。(田んぼ か りんご畑)

五所川原からレンタカーでホテル(グランメール山海荘)へ。

オールインクルーシブ(飲み放題・食べ放題)。

夕食のお部屋の感じ。

お部屋からの眺め(北側)

お部屋からの眺め(南側)

夜は、津軽三味線の生演奏。太鼓は、お客さんから。

③鶴の舞橋へ

というところに行きました。

鶴の舞橋は平成6年7月8日、岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に、日本一長い三連太鼓橋「鶴の舞橋」として架けられました。

全長300メートルもの三連太鼓橋はぬくもりを感じさせるような優しいアーチをしており、鶴と国際交流の里・鶴田町のシンボルとして、多くの人々に愛されています。


岩木山を背景にした舞橋の姿が鶴が空に舞う姿に見えるとも言われ、また、橋を渡ると長生きができるとも言われています。

夜明けとともに浮かび上がる湖面の橋の姿や、夕陽に色づく湖と鶴の舞橋は絶景で、季節の移り変わりと共に多くの観光客たちの目を楽しませています。

 

④ 斜陽館に行きました。

建物は1907年(明治40年)に太宰の父で衆議院議員であった津島源右衛門によって立てられたもの[1]。当時の住所は青森県北津軽郡金木村

太宰が中学進学に伴い1923年(大正12年)に青森市へ転居するまでこの家で暮らした。

東京へ出た後、共産党の非合法活動に協力したり、何度か心中を繰り返したため郷里から勘当された。勘気を許されてこの家に戻る事が許されたのは、1942年(昭和17年)に太宰の母タネが亡くなった後である。

その後1945年(昭和20年)、太宰は戦況悪化に伴い妻子を連れて疎開

翌年までこの地にとどまり、文筆活動を続ける。小説『思ひ出』や『津軽』等には太宰がこの家に対して抱いたイメージが記されている。

太宰の死後1950年(昭和25年)に津島家はこの家を売却[1]

町内の旅館経営者が買収し太宰治文学記念館を併設した旅館として改装され太宰の小説『斜陽』から「斜陽館」と命名された[1]

1950年から営業をはじめた旅館「斜陽館」は太宰ファンが多く宿泊に訪れており、中には喫茶店も併設されていた。

また文学記念館は宿泊者以外にも公開され、多くの太宰ファンでにぎわった。

床が飴色でした。

⑤ 感想

・新花巻のイートハーブは、街全体がその雰囲気がたっぷり。

・2〜3日ゆっくり過ごしたい街です。

・斜陽館に行って、太宰のことが少しわかったような気がしました。

 

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