自分ひとりで生きようとしない ~両目と両手を失った元教師の言葉より~
8月9日の午後6時からNHKを見ていたら、「自分ひとりで生きようとしない ~両目と両手を失った元教師の言葉より~」という番組が始まりました。
藤野高明さんという方です。
特に、この番組を見ようと思ったわけではなかったのですが、始まるとスーッと引き込まれてしまいました。
お話は、前後、川で焼夷弾破片と知らずに遊んでいたものが爆発して、
弟さんがなくなり、ご本人目を失明されて、両手の指を全て失いました。その時が小学校2年生でした。
それから10年以上受け入れてくれる学校が見当たらず
(指がないので、点字が読めないという理由で盲学校に入れてもらえなかった)、
自宅と病院(目の回復手術のため)で過ごしていました。
ある日、看護師さんが読んでくれた本でライ病の両目と指を失った患者さんが舌で点字を読むという話を聞き、疑心暗鬼で始めたら、少し読めるようになった。
その後の精進で大阪の盲学校に入ることができました。(故郷の福岡から移動)
盲学校では、世界史が好きで、成績優秀者となり、生徒会長にもなり、教師になることを決意する。
教師になるためには、大学に行かなければならないが、受け入れてもらえる大学が見つからなかった。
その後、日本大学の通信教育学部に入学するが、大学の授業に出なければ、ならなかった。
大学では、付き添いがいないと「来てくれるな」という話になっていた。
すると同じ通信教育学部の学生が交代で付き添いをしてくれることになり、大学を卒業できた。
大学を卒業して、教員免除をもらえたが、今度は、受け入れてくれる学校がない。
粘り強く交渉して、非常勤講師として、出身校の盲学校の非常勤講師になった。
その後、正規の教師として採用されて、63歳まで勤め上げた。
今でも大学の特別授業の講師を務めている。
この話を聞いていて、涙腺が緩くなってしまった。
その理由は、
① 藤野さんの笑顔が明るい。全盲で両指がないのに、明るいのです。
その明るさが、身体障害者第一級であったがとても明るかった母親と重なってしまいました。
②二俣川の視覚障害者支援施設「ライトセンター」にいらっしゃる全盲の先生を思い出しました。
視覚障害者支援のボランティアを始めるときに受講した講義の先生でした。
その方は、全盲で、東工大を受験しようとして、断られました。
理由は、過去に事例がなく、東工大で点字の受験ができる用意がされていなかったからです。
その翌年に、点字で東工大を受験して、見事合格しました。
そのかたも明るい方です。