私の歩いてきた道。(ソーシャル編 その7)プロボノとの出会いからみんなのさいわい の立ち上げを決めるまで

2016年1月に曽根さんが、サービスグラントを卒業される頃の写真です


サービスグラントへのプロボノ登録をするとすぐに、番頭の曽根さんから連絡がありました。

今、新しいプロジェクトのチーム編成をしてるんだけど、

「ADアカウントディレクターをしませんか?」ADとは、PMと事務局をつなぐ役割です。

私は、PMを希望したのですが、曽根さんのおすすめで、

ADをやることになりました。

PMは、曽根さんからの紹介でした。その後、チーム編成を行い、

キックオフ会議へと進みました。

最初の支援先は、ジービーパートナーズさんでした。

支援メニューは、ウェブサイトの作成でした。

私自身、ウェブサイトを作ったことがなくまた作り方も知りませんでした。

キックオフ会議を行なった後にチームの皆さんと歓談をしました。

すると自分の言葉がうまく個人事業主の方々と繋がりませんでした。

「ああ、これがプロボノの気づきなんだなあと思いました。」

また、お仕事ならビッシリやるところを少し緩めに進めました。

この辺りの勘所は、最初手探りでした。

各位のモチベーションが下がらないようにする会話は、

最初とても難しいと思いました。

その後、私がPMを兼任することになりました。

そのため、タスクリストを作り、進捗管理をはじめました。

ウェブサイトを作るプロセスをよくわかっていなかったので、

その辺りは、チームメンバーにタスクをリードしてもらいとても助かりました。

チームのやる仕事は、コーディングができるまでで、

その後は、コーダーの方にお願いして、進めていただきました。

こちらの連絡が、不十分な点もあり、少し行ったり来たりしましたが、

結果的には、納品にたどり着き、プロジェクトが完了いたしました。

プロジェクトの完了後の打ち上げ


http://gbpartners.jp

紆余曲折の末に生まれたウェブサイトでしたが、

ジービーパートナーズさんの支援先の方々からもお褒めのお言葉をいただきました。


後日、ジービーパートナーズさんからは、シニアのモデルケースとして、インタビューを受けることになりました。

http://gbpartners.jp/2016/06/16/「褒められる連鎖が自分の活動を広げていく」%E3%80%80/

ジービーパートナーズの団体内の研修で、福島の視察に行く計画があり、

お声がけをいただき参加することになりました。

行き先は、福島県の浜通りでした。

いわき市にて、一泊してから、北上して原発事故の収束中のエリアに入りました。震災ツアーのプロトタイプという感じです。

福島第一原発は、HPの時から、毎週東京電力から発表される資料を読み込んでいたので、

ある程度のイメージは、できていました。

しかし、実際に見ると想像以上の状況がそこには、広がっていました。

すでに震災発生から3年以上経っていましたが、

そこは、避難困難区域であったために、震災直後の状況が残ったままになっていました。

ツアーのコンダクターをしていただいた藤田さんは、

地元で東京電力で働く方々向けの食堂の経営やお弁当を作る事業をされていました。

震災後、お弁当を作る工場も被災されていました。

これから工場を再建されて、お弁当の供給を再開されるとの話を聞きました。

福島第に原発です〜


福島第二原発のお話を聞きました。

第二原発にも津波が来ましたが、1つの電源が、生き残っていたそうです。

9000mのケーブルを緊急空輸して、緊急電源工事を行い、冷却状況を確保できたそうです。

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_12-j.html

TOMOTORAという福島の高校生が企画する震災ツアーに参加しました。

移動中のバスの中でそれぞれの高校生が、

自分にとっての大震災がどのようなことであるのか語り出しました。

その中で、お父様が東京電力にお勤めの方がいらっしゃいました。

震災前は、浜通りでは、東京電力にお勤めの方は、エリート扱いであったようです。

それが、震災以降は、原発問題の加害者のように扱われて、地元の方々からいろいろ言われたようです。

その高校生の方も地域の方や友人から、いろいろ言われて苦しんだとのことです。

その話を聞いていたら、涙がポロポロ落ちてきました。

人の話を聞いてこんなに涙が落ちるのかと思いました。

夕月かまぼこの工場にて。

その後、竹輪工場に行き、自分で作った竹輪を初めて食べました。焼きたての竹輪は、とても美味しかったです。

後列の右端が、荒井優さんです。


 こちらの研修では、東日本大震災復興支援財団の専務理事をされていた荒井優さんにお会いしました。

荒井さんは、現在、札幌の新陽高校の校長先生をされています。

大柄で明るく、名刺を出したら、スマフォを出してきて、FB友達になりましょう。と言われました。

次の支援先は、日本キリスト教婦人矯風会さんでした。

支援メニューは、「業務フロー設計」でした。

http://kyofukai.jp

矯風会は、1886年の創設以来キリスト教の精神に基づき女性と子どもの人権を守り、

その福祉への貢献を目標に掲げ、努力されてきました。

つまり、133年の歴史がある団体さんです。

会員数は、800名くらいで、守衛のおじさん以外は、すべて女性という感じでした。

こちらの歴史が長い分、その慣習を変えるのは、とても難しく、

外部の力をプロボノという形で活用されたのかなあと思いました。

団体側の代表の方は、3名の方で、とても前向きであったので、

よい提案ができたのかなあと思っています。

次のプロボノは、東京ホームタウンプロジェクトの太壱見守りネットワークさんでした。

ウェブサイト作成でした。

墨田区の太平一丁目で地元の独り住まいや病気の高齢者の方々の見守りをされている団体さんです。


 事務局長の斎藤は、ご自分のお仕事(建築士)でウェブサイトをお持ちの方で、安心して、作成後のお守りをお願いできました。


どういうサイトにするかという打ち合わせで、

斎藤さんのご自宅に関係者の方が来られて打ち合わせをしました。

打ち合わせの後は、いつもビールや酎ハイがおつまみといっしょに出てきました。

その感じがとても自然で、いい感じでした。

私たちの活動を東京ホームタウンのビデオに載せるため、

PVプロボノの方々も撮影隊として参加されました。

下記のビデオの1分50秒あたりから、太壱見守りネットワークが出てきます。

https://www.youtube.com/watch?v=5FOd04BDBFw

斎藤さんのご自宅を出た後にPVプロボノの新井さんたちと軽く一杯やる流れになりました。

そのうち、サイトのイメージを作成して提示タイミングになりました。

斎藤さんからできれば、3つくらいのトップ画面のイメージを作って、

関係者でみて、どれにしたいか検討したいとの要望が出されました。

チーム内で相談した結果、デザイナーの河合さんが、3種類のイメージを作ってくれました。その中に素敵なピンクのイメージを作ってくれました。

太壱見守りネットワークの皆さんもこれがいい、これがいいということでTop画面のイメージが出来上がりました。

佐野っちが、IA(ウェブサイトの構成を決める)とコーダーを担当していただき、

デザインやコピーが決まっていくとサクサクと作成を進めてくれました。

コピーは、コピーラーターのアビーさんが担当してくれました。

アビーさんは、コピーを書く前にインタビューをしてから文章を作成して、提案してくれました。

デザインでは、いろいろ要望が出ましたが、

アビーさんが作成した文章は、すべて一発OKでした。

これは、プロの仕事だなあと思いました。

結果として素晴らしいサイトができたのがよかったなあと思いました。

http://www.deara.co.jp/sumidanomimamori/

次は、シマフクロウ・エイドさんのウェブサイト作成でした。

こちらは、北海道旅行(視察とヒアリング)付きというとてもリッチなプロジェクトでした。

佐野っちは、PMとして、アビーさんはCW(コピーライター)として、

太壱見守りネットワークから続けて参加していただきました。

それに、けんちゃんとくららさんがマーケッターとして、

マメさんさんがWD(Web Designer)として、

てらちゃんが、IA(構成を決める役目)とチーム編成が出来上がりました。

活動を開始すると、このチームは、史上最強のチームであることに気がつきました。

シマフクロウ・エイドさんは、お持ちの素材(写真やイラスト)が多く、

更新前のサイトは、ページ数が多く、動線も複雑で、ちょっとジャングルのようになっていました。

そのあたりの整理をてらちゃんがしてくれました。

ヒアリング先についてチーム内で相談していた時に、

けんちゃんが、シマフクロウは、アイヌにとっても大切な鳥なので、

アイヌ関係者にもヒアリングしたいなあと発言しました。

そして、シマフクロウ・エイドの菅野さんにお願いしたところ、

シマフクロウ・エイド の会員の方のご紹介で、

阿寒湖のアイヌコタン(アイヌの方の集落)の長老の方のお話を聞くことができました。

その方は、70歳を少し超えた方でした。

目がキラキラして、10歳ぐらいお若く見えました。

「僕は、願っていると叶うことがあるんだよ。」と。

「イチローさんが好きで、いつか会いたいなあと思っていたら、

私の土産物店を訪問してくれて、お話できました。」

とか、「渡辺謙さんが好きで、いつか一緒に映画に出たいなあと思っていたら、

「許されざる者」という映画にアイヌ村の酋長役で

エキストラとして謙さんと共演できたということでした。

https://eiga.com/news/20121025/1/

浜中町でのヒアリングは、素晴らしい自然を堪能しながら、完了しました。

チームのモチベーションも高まり、素晴らしいサイトを作ることができました。

https://fishowlaid.jp

完了した後に、菅野さんご夫妻が、東京に来られたので、懇親会をしました。この回は、その後も続いています。

その次は、東京ホームタウンプロジェクトで、

福祉亭さんのウェブサイト作成でした。

こちらは、多摩区のコミュニテイカフェで、

ワンコインランチをはじめとして、

地域の方が参加する温かいイベントをたくさん開催しています。

こちらも素晴らしいチームで活動できて、素敵なサイトが出来上がりました。

https://fukushitei.org

サービスグラントでは、5つのプロジェクトと2年間事務局スタッフとして関わらせていただきました。

ソーシャルビジネスの実務経験とネットワークを得られたことに感謝しています。

2016年の12月に東横線で渋谷に向かっているときに、

自分でプロボノ支援団体「みんなのさいわい 」を立ち上げようかなと急に思いました。

その日から、その活動が始まりました。

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