ご縁があり、賀川豊彦記念松沢資料館を訪問しました。

https://zaidan.unchusha.com


https://ja.wikipedia.org/wiki/賀川豊彦
 
個人の訪問者にガイドをつけていただけるとのことで、事前にメールにて申し込みをしました。
 
当日は、講師の大野剛さんにご案内をいただきました。
 

賀川豊彦さんという名前は、今回のご縁で初めて知りました。

漫画の動画が、わかりやすかったです。

https://www.youtube.com/watch?v=sBBjA2pFrAc

「スラム街での救貧事業からはじまり、労働組合、農民組合、協同組合、平和運動、そして日本初のミリオンセラー作家…幅広い賀川の活動を貫いたのは隣人愛に基づく、助け合いの精神と行動でした。」

生い立ち

兵庫県神戸市に、回漕業者・賀川純一と徳島で芸妓をしていた菅生かめの子として生まれる。
 
4歳の時に相次いで父母と死別して、姉と共に徳島の本家に引き取られる。
 
徳島では血のつながらない父の本妻と祖母に育てられるが、
 
「妾の子」と周囲から陰口を言われるなど孤独な幼年時代を過ごした。
 
兄の放蕩により15歳の時に賀川家は破産してしまい、叔父の森六兵衛の家に移る。
 
旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)に通っていた1904年(明治37年)、
 
 

社会事業家として

に苦しみ、また信仰への懐疑に煩悶(はんもん)しながら、
 
やがて「貧民問題を通じて、イエスの精神を発揮してみたい」と一念発起し、
 
1909年(明治42年)神戸市新川のスラムに住み込み、路傍伝道を開始する。
 
 
1911年(明治44年)に神戸神学校を卒業、1912年大正元年)には一膳飯屋「天国屋」を開業した。
 

エピソード

 
大宅壮一は、賀川の追悼文のなかで
「大衆の生活に即した新しい政治運動、社会運動、組合運動、農民運動、協同組合運動など、
 
およそ運動と名のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発していると云っても、
 
決して云いすぎではない。
 
近代日本を代表する人物として、自信と誇りをもって世界に推挙しうる者を一人あげようと云うことになれば、
 
私は少しもためらうことなく、賀川豊彦の名をあげるであろう。かつての日本に出たことはないし、
 
今後も再生産不可能と思われる人物――、それは賀川豊彦先生である。」と記している。
 

感想

1。成し遂げた成果や影響が巨大すぎて、どこまでの大きさか把握するのが、困難かなあと感じました。
 
2。その割には、世間的な評価が低く、忘れ去れる可能性が高い方かなあと思いました。
 
3。徹底した現場主義、柔軟な思考、博愛主義、目線の低さ,サービスの複合化など、今のソーシャルビジネスの方向性を先取りする先進性を感じました。