元横河ヒューレットパッカード社長の笹岡健三氏が12月28日に急性心不全のため逝去されました。

 笹岡さんにお会いしたのは、YHPに入社した1982年でした。笹岡さんの印象は、声が大きく明るい方でした。YHPに品質管理を根付かせて、親会社である横河電機やヒューレットパッカードに対して、品質の大切さを繰り返し、しつこくしつこくお話されている姿が印象に残っています。
 
 また当時は、月例ミーティングという会を毎月お昼過ぎから、開催されて、会社の業績(部門別の売り上げや利益)やトピックスを模造紙に書いて、社員に説明されていました。当時は、会社業績についての開示のルールが今ほど厳しくなく、HP社も上場しておらず、裁量権が大きかったようにも思えました。
 社員のモチベーションに気配りを忘れない、今はなきエクセレントカンパニーの時代でした。
 
 会社のイベント(お祭りやバーベキュー大会)では、会社役員の先頭に立って、食べ物を社員にサーブする姿がよく似合っていました。
 
ドメドメのテルモから転職してきた私には、こんな社長がいるんだという驚きとそのオーラを眩しく感じていました。
 
 その後、アメリカ本社のあるパルアルトのそばのYHP定宿(クリークサイドイン)でアメリカ富士通の営業のお偉いさん(外人)とディナー前の立ち話をしていたら、少し離れたところから、肩を落とした笹岡さんが歩いてこられてきました。
 日本でお見かけするお姿とは違い、少しうなだれて、下を向いてトボトボ歩かれていました。思わず、「笹岡さ〜ん」とお声がけしたら、背筋がスーと伸びて、笑顔になり、こちらにスタスタと歩いてこられました。少し談笑されて、歩いて行かれました。
 
 後日お聞きした話ですが、笹岡さんは、YHPの中では、すごく輝いて、独自の事業を色々されていましたが、それぞれの親会社との関係は、その反動で厳しい時や冷たい時があったとお聞きしました。
 
私は、それでも笹岡さんの明るさとチャレンジ精神が大好きで、自分のロールモデルの一人としています。
 
長い間お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。