家族との関係 その1
家族との関係その1について書いてみます
1。カミさん
①カミさんとは、1989年結婚しました。

還暦の写真です。カミさんと娘です。
過去にいろいろありましたが、今は、良好な関係になっています。(と思っています)
②結婚して、すぐに長男が生まれました。
その4年後に長女が生まれました。

当時は、会社の仕事が楽しく忙しく+テニス(毎週火木土)+ヨット(土曜の夜からカミさんの実家(横須賀)に、家族で移動。

夕食をいただき、私だけ、ヨット(小網代)に行く。日曜の夕方、横須賀の実家に戻り、家族をピックアップして、自宅(相模原)に戻る)という理想的な生活をしていました。

カミさんは、実家で、子育てを両親に任せて、リラックスしていました。
③1995年2月に勤務先が、八王子から神戸に変わることになり、カミさん+長男+私で、下見旅行に1/14から神戸に行きました。
神戸で営業をしていた友人のタケちゃんや開発をしていたヒデちゃんに神戸や明石を案内してもらって、夜は、三木市のタケちゃんの自宅に泊まりました。

(震災前の魚の棚)
手巻き寿司パーティでおかないっぱいになって、2階でよく寝ていました。
早朝、グラグラときました。カミさんが、熟睡する息子を起こそうとしたので、なぜか、「起こすな!」といっていました。
下の階に降りるとタケちゃんが起きていて、テレビをつけましたが、映らず、ラジオをたけちゃんがつけてくれました。大阪震度6などが流れました。
なぜか三宮が震度いくつか放送されませんでした。(後で、三宮の地震計が振り切れた。。。と聞きました)
2時間くらいすると、電気が通り、テレビが見られました。タケちゃんは、「これじゃあ、営業の仕事ができませんね。といって、自宅で一緒にテレビを見ていました。
テレビでは、大震災の惨状がずっと放送されていました。右上に死亡者のカウントが表示されていて、どんどんその数が増えていきいました。」
タケちゃんの家は、水道もガスも止まらなかったので、しばらく様子を見るために、テレビの前で、ゴロンとしていました。
翌日朝5時に起きてテレビを見ると福知山線が広野から福知山まで開通したというニュースが流れました。福知山から京都までは、山陰本線で、京都から東京まで行けそうな流れでした。

(広尾駅)
タケちゃんに「広野まで送って!」とお願いしました。するとタケちゃんの奥さんの朋子さんが、「唐揚げ弁当」作ってあげる。といてくれました。
広野に着くと、駅員さんから、「いつ福知山に着くか、お約束できません。」と言われました。「問題ないです」と答えて、乗車しました。電車は、少しゆっくり走り、無事に福知山に着き、京都駅で新幹線に乗れました。
新幹線が発車すると「どっと」疲れが出ました。
上溝の自宅に着くと、三人とも熱を出して、眠りにつきました。
途中、会社に無事を連絡しました。

(初期のルミナリエ)
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