来年以降の働き方と生活の過ごし方について
来年以降の働き方と生活の過ごし方についてまとめてみました。
来年70歳になります。60歳くらいから今までを振り返り、これからの働き方と生活の過ごし方について書いてみます。
1。現状の働き方と生活について
①本業:認定NPO法人の資金調達支援を業務委託で行なっています。週2日程度の仕事で、100%在宅です。
②副業は、みんなのさいわいの業務委託です。年収は、15万円から30万円です。
③生活は、2日に一度、自転車(電動ママチャリ)で、20km走るか、近くのコートでテニスをします。

④人の付き合いは、Zoom会議が、毎日、1件から3件くらいあります。また、自分でPMを兼任しているプロジェクトがいくつかあり、その準備や結果のまとめなどもしています。
⑤チャリ散歩をするときは、2回に1回くらい、お馴染みの和菓子屋さん(新岩城さん、吉田屋さん、㐂久屋さん)にローテイションしています。

本当は、毎回、行きたいのですが、自分の体重管理の上限値を超えると和菓子屋さんには、行かないルールになっています。
チャリ散歩は、3コースあり、それぞれのコースとお菓子屋さんが紐ついています。
㐂久屋さんに行くときは、鶴見川の土手を走ります。こちらは、河口まで行ってこいです。

新岩城さん、吉田屋さんは、大師橋周りのコースです。時々、多摩川の上流方面に行きます。

テニスの友人は、幸区に引っ越してきた2003年からのお付き合いです。
同じマンションのテニス部です。サラリーマンや主婦の方が多く、気のおけない大切な友人です。
2。60歳くらいから今までを振り返り
①58歳の時に日本HPを退職して、フルタイムの仕事は、一旦終了しました。

②次の仕事を探すと、最初に中小機構の専門家の仕事が決まりました。こちら、月10日程度でした。結果、残りの10日は、NPO法人サービスグラントにて、有給スタッフの仕事が決まりました。NPOの仕事は、その前に、プロボノワーカーを3年くらいしていたので、採用になったと思います。

当時、パラレルキャリアと言われたやつかと思っていました。普通のお仕事は、60歳を過ぎると転職が難しい言われていた時代で、なんとなく、ソーシャルビジネスの方が長く働ける可能性が高いと思っていました。
③60歳の時に、NPOのお仕事を終了して、自分で、「みんなのさいわい」というNPO法人をプロボノで支援する団体を作りました。サラリーマン時代には、創業などを考えたことは、ありませんでした。

しかし、「プロボノワーカーとして、ボランティア」->「プロボノ支援のNPO法人のスタッフ」->「プロボノ支援のNPO法人の設立」という流れに乗っていたのかなあと後で思いました。
④61歳の時に、HP時代の上司の上司であった本田さんが、三宅を探しているとの話が入ってきました。
どうやら、本田さんが社長をしている会社でグローバルで調達を行う組織を作ったのですが、そのポストに入る人を探しているとのことでした
面談に行ったら、工場のある佐久市に行かないかという話になりました。その時に、はいと答えて、転職が決まりました。
このときは、中小機構3年目で後輩(私より後に入った専門家)の教育担当など、好き勝手にさせていただいていました。しかし、「グローバルで調達」と言葉が刺さり、居心地の良かった「中小機構」からフルタイムの「Phase One」に移りました。

Phase Oneは、デンマークの会社で、製造は、長野県の佐久市(以前は、マミヤ光機の工場)でした。勤務は、日本の本社(都内)に週3日。佐久工場へ週2日という生活でした。
仕事は、グローバル調達戦略の策定と主要サプライヤーとの契約でした。
フルタイム+副業(みんなのさいわい)で、回るかと思いましたが、なんとか回しました。
63歳の時に、グローバル調達戦略の策定と主要サプライヤーとの契約は、完了しました。
そのため、Phase Oneをやめることになりました。
⑤次を探したら、大田区産業振興協会で、専門家の仕事(大田区内の中小企業支援)が、週3日で決まりました。

中小機構に比べて、現場の仕事で、実際に自分で、ビジネスマッチングができる醍醐味を味合うことができました。
産学連携では、担当の東工大に毎月通い、マッチングのネタをいただき、大田区内企業を訪問して、マッチングを行う流れでした。
最初の1年は、思った通りの活動ができて、結果も出ていました。職場の上司の評価も高くいい感じでした。
2年目は、コロナ問題が発生しました。東工大は、訪問が難しくなり、大田区企業も面談が難しくなりました。自分の得意なスタイル(面談からマッチングをつくり出す)が取れず、結果が出ない日々が続きました。
ある日、結果が出ないので、来年の契約は難しいという話になりました。このままここにいても先がないなあと思い転職活動を開始しました。」
⑥するとJICAの調達派遣業務部の契約1課で募集があることを知り、早速応募しました。

この時期には、みんなのさいわいの支援先が3団体から6団体に増えて、フルタイムは、難しいと思いましたが、JICAの仕事に興味がありましたので、面談時に、「行きます」と言ってしまいました。
公的機関は、3社目でした。今までの会社の中で最高の会社でした。
理由は、
・性善説なマネージメントで、何か、不具合を起こしても、そっと管理職に呼ばれて注意されるだけで、みんなの前で、面罵されることを見たことがありませんでした。
・色々改善提案をしたところ、半分くらいは、実現しました。例えば、担当部署に新人が入るとその方の調達関連の講師を務めました。また、職場に新人が入るとその講師も担当しました。
・こちらは、3年の契約期間でした。68歳の時に満了で終了しました。
JICAでの経験は、その後、みんなのさいわいの支援先が、海外NGO系が増えるネタになりました。
今の業務委託のお仕事が決まったのもJICAでの経験が大きかったと思います。
3。これからの働き方と生活について
可能であれば、今の生活の続けたいと思います。
業務委託のお仕事は、その内に終わると思います。
その意味で、みんなのさいわいの活動をもっと広げていきたいと思っています。
頭と体が維持できれば、80歳くらいまで続けたいと思っています。
以上
この続きと写真付きの投稿は、こちら。

