たっちゃんケンケツ70回を記念してガラスのコップ
たっちゃんケンケツ70回を記念してガラスのコップをいただきました。
この機会に、自分とケンケツの関わりをまとめてみました。
初めて、ケンケツという言葉を聞いたのは、中学の時だったと思います。
身近な方が大きな手術をするというので、
その方の職場の方や友人の方が、献血をするという話を聞きました。
その後、高校生の時に、街中で献血車を見かけるようになりました。
最初は、興味本位でケンケツしました。当時は、ヤクルトやパンを無料でもらえたような気がします。
ケンケツをすると看護師さんにとても感謝されたのが、癖になって、今でもしているのかなあと思っています。
当時は、ケンケツカードは、電子式ではなく、ただの紙でした。
献血すると紙のカードに献血履歴を描いてもらいました。
いつも持ち歩いていないので、ケンケツするときは、いつも新しい紙のカードをその都度いただいていました。
当時は、ケンケツとケンケツの間の期間も自己申告であったと思います。
ケンケツは、針をさすので、痛いのですが、その痛さが、それほど痛いとも思いませんでした。
社会人になってテルモという会社に入りました。仁丹体温計を作っていた工場が独立して、ディスポーザブルの医療機器などを作っていました。
テルモは、血液バックというサイケツした時に血液を入れるバックを作っていました。
血液と接触しても血液にあまり影響を与えないという画期的な製品でした。
それまでは、採血ビンというもの使っていたようです。
それ以外に透析用のダイアライザーを作っていました。
ケンケツという観点では、一個人からその事業を支える企業の一員というように立ち位置が変わっていきました。
その時の気づきです。
1。血液は、人工的には、作れない。人間が生きていくためには、なくてはならない。
2。事故や手術で大量の血液が失われた時には、他の人が、ケンケツした血液を使う必要がある。
3。ケンケツは、無償のボランティとなっている。有償にすると「売血」して、生計を立てる人が発生して、市場に供給される血液の質が下がった経験がある。
4。でもなんのご褒美もないとケンケツのモチベーションが上がらないので、いろいろなおまけやプレゼントを用意している。
5。ケンケツされた血液は、使われるまでに検査がされる。ただし、一人一人分を分けて、検査するのではなく、50人分をまとめてのようです。
6。血液製剤は、病院に売る時には、薬価が適用されるようです。私は、いつも血小板なので、15万くらいのようです。
7。いろいろ問題は、ありますが、必要なものなので、できるだけご協力したいなあと思っています。
8。100回献血すると神奈川県民ホールで表彰されるようです。それを目標にしていきたいなあと思っています。