曽根さんとのことを書きます〜
曽根さんとのことを書きます〜
久しぶりに曽根さんにお会いしました。
曽根さんに初めてお会いしたのは、HP社の社内研修で、Probono Redinessというイベントでした。ワンディプロボノに似た感じでした。
当時は、HP社の社員で、社内や社外のボランティアの活動をしていました。
社内は、釜石支援(釜援隊という市役所の外郭団体とタイアップして、釜石市内のNPOの方々にITスキルやビジネススキルを支援する内容)
やレッドソックスの上原投手がオフに南相馬の子供達に野球を教えるイベント支援(子供達の写真をとってその場で渡す。)や
Matter To A MIillion(世界中の支援を必要とする小規模事業者にHP財団から託された25ドルをKIVAという中間支援団体を経由して貸与する)の日本代表の一人などです。
社外は、神奈川県のライトセンターで視覚障害者支援をやっていました。
正直言って、Probono Redinessは、準備がいまいちでした。
イベントの流れとマニュアルに不整合が多く、一般のビジネスでは、ちょっとこれは。。。というレベルでした。
しかし、プロボノ自体は、今まで経験したことない新鮮さが楽しかったです。
その時の支援先への支援内容は、ウェブサイトの作成と決まりました。
しかし、HPの社内には、パソコンやサーバーやネットワーク機器のエンジニアは、いますが、デザイナーもいなければ、コピーライターもいないので、
社内では、出来ないということになり、サービスグラントに頼むという結論になりました。
それならと早速、サービスグラントの説明会に行きました。
そこで、初めて、曽根さんにお会いしました。2013年の10月くらいだったと思います。
PM(プロジェクトマネージャー)を希望したのですが、AD(アカウントディレクター)が、いないので、
「AD。。やっちゃいなよ〜」と言われて、つい「はい」と答えました。
それから2016年に曽根さんが、70歳で退職されるまで、陰に陽に、大変お世話になりました。
一見、いい加減な中に、節目節目では、「大番頭」としての睨みを効かせていたことをよく覚えています。
本日、お会いしたら、73歳になられたとの事ですが、いつまでは、若々しいお話ぶりで、感動しました。
これからもよろしくお願いいたします。