私たちの「障害」観
ぷかぷかさんの高崎さんFacebookで、「筑豊に行きます」を見つけました。
ぷかぷかさんの高崎さんFacebookで、「筑豊に行きます」
筑豊?って、どこにいくのかなあ。。と思いました。
「虫の家」というところです。Webサイトを見ると、 下記の言葉が、入ってきました。胸にキューンときました。
◆言伝(ことづて)◆
ながく人としてのあたりまえの暮らしを奪われてきた「障害者」
そして、あらゆる人間への価値付けから解放され、
この国の「障害」観は、厚生労働省の「障害等級表」に示されているように、「障害」を身体的・精神的欠損(欠陥)と捉えています。
そこから、この人たちを「穀つぶし」「役立たず」と蔑視する考え方が生まれます。それは、人間を国家の進歩・発展に貢献できるかどうかの物差しで選別する「優生思想」そのものと言わなければなりません。
私たちにとっての真の課題は、「欠損」の除去にあるのではなく、この人たちの「しょうがい」という固有の世界がもたらすイレギュラー・バウンド(無用性・無力性・非生産性・非合理性・非日常性・詩的世界・・・)を捕球する、私たち多数者側のギアチェンジにかかっていると考えます。
つまり、「病気や障害はその人に<何か>が欠けていることを示すのではなく、その人に<何か>をもたらしている」(最首悟)のかも知れないと感得するのです
私も、行って見たいと思いました。
ぷかぷかさんのブログです。
http://pukapuka-pan.hatenablog.com/entry/2018/04/03/114835
以上です。