まずは、ボランティアとの出会いについて教えてください。
高校生の時に献血を始めたことかなと思います。その時に、綺麗な看護師さんに、褒められました。
小さい時から、褒められるとすぐに、調子に乗る性格で、それから、機会をみては、献血していました。
今まで、どんな社会貢献活動をしてきましたか?
自分が良いと思うとすぐに行動に移さずにはいられない性格なので、つまみ食いをしたり、食べやすみをしたりです。
障がい者支援は、ライフワークにしたいと思っています。
中学校3年生の社会の先生から、人間は、生まれる方の2%の方が障がいを持たれていると伺いました。
残りの98%が2%の方の支援をするのが、当たり前と思いました。
私の母が、リュウマチで、左足が、くの字のように曲がってしまいました。
小学生の時から、お買い物の荷物持ちなどをしていました。
今思えば、障がい者の方との間合いをその時に、母に教わったように思います。
また、医療機器のテルモの営業をしている時に、障がい者施設を回ったことがありました。
使ってくれる方が看護師さんなので、現場にいきました。
その時は、たくさんの方が一箇所にいらっしゃったので、少し驚いてしまいました。
ヒューレットパッカード(HP)社での活動は?
HP社は、釜石支援、南相馬支援、Matter to A Million (Kiva社を経由して、
発展途上国の小規模事業者に、会社からもらった少額(50ドル)で、お金を貸す体験)をしました。
特に、Matter to A Millionは、自分たちの小さなお金が世界を変えることを体験できました。
また、プロボロ レディネス(一日プロボノ)を体験したことで、サービスグラントを知りました。
サービスグラントでは、何をされましたか?
プロボノチームのアカウントディレクター(AD)というチームとサービスグラントの橋渡し役をやりました。
完了したプロジェクトのは、5つです。
また事務局員としても2年間働きましたので、NPOを裏側から見る機会となりました。
みんなのさいわいを設立しようと思った動機を教えてください。
はい、2014年からいろいろな団体の活動を見てきました。
その中には、感動して、活動に参加したいと突き動かされる団体さんがいくつもありました。
実際にその活動に入ってみると、もっとこうしたら良いのに。。。というのが。見えてきます。
そのようなことが多くなると、自分のやりたいことをしたいなら、自分で団体を起こすしかないかな。と思うようになりました。
自分の性格上、社長は、向いていないとずっと思っていましたので、
それまで、起業などは、人ごとと思っていました。
多分、理由は、次の点かと思っています。
① 個人事業主をやっていますが、70歳までが、限界かなと思っています。
② 頭がボケなければ、体はサイボーグのようになって、120歳まで活動可能な人生がすぐそこまできている。
③ 高齢者支援の団体の代表に高齢者が多い、80歳台がたくさんいます。
それらの方のお話を聞くと、同窓の方は、皆さん、特養(特別養護老人ホーム)に行ったか、鬼籍に入られたとのこと。
「支えるがわ」にいることが、健康寿命を伸ばす方法だと思いました。
「みんなのさいわい」は、どんな団体にしたいですか?
支援される方も支援する方も「みんなのさいわいの運営委員」もさいわいで、長生きしてもらいたいです。
そのためには、開かれた、みんなが言いたいことを言える・やれる団体にしたいと思います。